2024年1月16日研究会報告

こんにちは。3年の木原です。

 

受験シーズンですね。1月13日、14日には広島大学でも共通テストが行われたようです。受験生の皆さん、お疲れ様でした。

私にも高校3年生の妹がいるのですが、先週末は広島市内の大学で共通テストを受験していました。毎日本当に頑張っている様子を見ると、どうにか合格してほしいという気持ちになります。

このブログを見ている方の中にも、広大文学部志望の方がいるのでしょうか?いつか現代文学研究会でお会いできることを楽しみにしています。あともう少し、頑張って下さいね。

 

2024年1月16日研究会報告

 

今回の研究会では、前回の黒沢清監督『CURE』の続きを鑑賞した後、作品について全体で話し合いました。

(※以下映画のネタバレ注意)

 

 

 

話し合いでは、『CURE』全体のテーマについて、人間のコミュニケーション・考え方の基盤となる因果関係を全く無視していることという話をしました。劇中、記憶障害を持つ間宮の要領を得ない会話や、普通の日常の1シーンのなかで突如として正当な理由を持たない殺人が行われることなどがこの作品の不気味さだと思ったのですが、そこから理性的・近代的な人間に対する挑発だと捉えることも確かに可能で得心しました。

また、催眠の発動条件がライターの火・垂れる水・煙草の煙などの”ゆらぎ”なのではないか、伝道師としての間宮と高部の違いについて、カメラワークや音など映画の演出について、間宮≒文江(高部の妻)説、作中の男女の描写によるジェンダー意識についてなど、たくさんの話題についていろいろと興味深い話し合いをすることができました。

 

私はホラー耐性が全くないため、先週も今週も映画を見ながら実は「もうこんな話やめにしようよ……」とずっと思っていました。しかしホラーとは怖ければ怖いほどホラーとしての完成度が高いということですし(おそらく)、そんなに怖かったはずなのになぜか研究会が終わってからもずっと『CURE』について考えています。恐るべし、『CURE』……。

個人的には、佐久間の自殺について、作中に登場する小説『青髭』について、クリーニング屋は何を意味しているのかなどが気になります。怖すぎてもう絶対見たくないと思うのに、この調子だともう一回一人で見ていそうな予感もします。怖いです。

今回企画・資料作成をしてくださった入川くん、ありがとうございました!