卒業記念エッセイ(鈴木)

 卒業記念エッセイを書く機会をいただけて、大変嬉しく思います。4年生の皆さんも書いてください!と言ってくださった3年生の皆さん、ありがとうございます。そして、待っていてくれたのにギリギリになってしまって本当にすみません……。

 私が文学や現代文学研究会についてどう思っていたのかを書こうと思います。読んでいただけたら嬉しいです。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。

 

将来の夢

広島大学文学部人文学科4年

鈴木琴美

 

 将来の夢も、自分がやりたいこともわからないまま進路を選ぶ時期になり、担任だった国語教師から「文学部とかどう?」と言われたことがきっかけで「文学部って楽しそう~」と思い、法学部から文学部に志望先を変更しました。自分にとって学問として学べることの中で一番好きなのは文学だったと思います。

 親に「やっぱり文学部に行きたいです。」と緊張しながら告げたところ、大目玉を食らい、数時間説教されてしまいました。「文系は誰だって文学部に行きたいでしょうが!みんなそれでも就職のために別の学部で頑張ってるの!」というようなことを言われて「いや、そんなわけないやん。」と冷静に頭の中でツッコミを入れたことしか思い出せません。一悶着ありましたが、なんだかんだで文学部への進学を許してもらえました。

 こうしてたどり着いた広島大学文学部は、本当に素敵なところで、本当に楽しいところでした。

 でも、「自分はここにいていい人なのだろうか?」という思いが消えませんでした。最初からそのような気持ちはありましたが、文学に真剣に向き合おうとするほどその思いは強くなった気がします。

 私は本が本気で好きで文学部に来たわけじゃないし、読むのも苦手、読んできた冊数も少なく、取りこぼす内容も多い。優秀で本好きな人だけが文学部や文学研究の場に呼ばれているとは思わないけれども、どうしても自分の中で「私なんかが来ていいところだったんだろうか」と思っていました。

 卒業論文について詰めていく中で、私はさらに悩みました。つくづく文学研究に向いていなくて、全然論文としての文章が書けない。やり方も上手く分からない。そうやってもがき苦しみながら卒業論文を書いていました。今思い返すともっとやれたともこれ以上は無理だったとも思います。過去は後悔しない主義なのでこれ以上は無理だったと思いたい……。でももっとやれたかも……もっと自分で納得できるものを書きたかった……と、今でも考えは堂々巡りです。

 私は「本を沢山読み、自分の言葉で文学について語る人に憧れ、そうなるのが将来の夢だ」と追いコンで話しましたが、「文学が好きで、文学と真剣に向き合っている人たちの中に自分がいていいんだ」と思えるようになることが本当の夢なのかもしれません。

 ロリィタ服は、親によって着せられる服ではないのだ。誰にも強いられず、必ず、自分の意思で選び取って着る服であること。それがとても重要なのだと思う。他者からの眼差しなんて蹴とばして服を着ることが。

 突然ロリィタエッセイを引用してきてしまいましたが、関連のある話なのでお許しください。上記は川野芽生『かわいいピンクの竜になる』(左右社、2023年、27頁)からの引用です。ロリィタ服は自分で選び取る、自分だけの生き方、生き様です。これって文学も同じではないでしょうか。文学は生き方そのもので、色々な生き方の中から自分で選び取り、積み上げていく。他人から「読みなさい!」と言われた本はなんだかなじまなくて、自分だけに合う物語を求め続ける。私も先人のように自分の生き方を自分で決めて胸を張って生きていきたいと思っているのです。自分で自分の生き方を決めるって、意外と難しいことなので……。

 将来の夢をいまさら考えてしまうのは、人生には意味も目的もないから何かしら自分で設定しないとやっていけないからかもしれません。(私は目標があった方が頑張れるなあということです。目標などを設定せず生きることももちろんひとつの生き方です。)

 現代文学研究会に入ることが出来たことで、自然と自分の人生の目標が定まったことを、本当に幸せに思います。

 文学研究は上手く出来なかったかもしれないし、自分が憧れている人物像とはまだ程遠いですが、一つだけ胸を張れることがあります。それは、文学について、作品についてみんなと語り合う時間は大好きだったということです。元々何らかの作品について誰かと話すことは好きでしたが、それを本当に好きなことだとはっきり言い切れるようになったのは現代文学研究会で過ごした日々あってこそです。

 もう大学生は終わりで、みんなと過ごした日々には戻れないけれど、私たちの出会いは絶対に消えません。それはなんて素敵な心の支えだろうと思います。同じ惑星の上にいて、会える世界にいて。テクノロジーのおかげで気が向いた時にいつでも連絡を取ることが出来ます。

 暇な時、ちょっと思い出して話したくなった時、気軽に連絡してください。みなさんが私を覚えていてくれて、思い出してくれたなら私は嬉しいです。私も皆さんを覚えています。