2023年12月19日研究会報告

こんにちは!!三年の鈴木です!

最近は気を抜いたらカチコチになりそうなほど寒いですね……。今日外に出たら当然のように氷点下だったので手が痛くなり、私に通っている血液が凍ってしまうのではないかと想像してしまいました。インフルエンザなども流行しているとのことですので皆様ご自愛ください!

 

2023年12月19日研究会報告

 

今回の研究会は秦さんが担当してくださり、読書会を行いました。今回秦さんが紹介してくださった論文は「いじめ」に関する論文で、私の研究とつながる部分があり、多くの課題が見つかった読書会でした。

論文の感想としては、いじめの被害者本人に全体の4割の責任があるとされたことや、学校以外の学びの場所が少なかった当時でさえ被害者の家族の責任が3割とされたことに驚いたという人が多かったです。しかし、「被害者は死を避ける手段を取るべきだった」という考え方にも納得したため、難しい問題であると思いました。

そのほかには「いじめ」と名付けることの是非や決めつけることの暴力性、「いじめられる側にも問題がある」という言説、実際は異なっている場合でも自身を弱者側や被害者側だと想定してしまうことの問題性についての意見がありました。

また、前回の研究会で扱った『かがみの孤城』についても触れていただき、『かがみの孤城』では父親は育児に介入していないと思われる点について考えました。1970年代はいじめの原因は親(=母親)が原因とされていましたが、1980年代は学校が原因であるというように言説が転換されたことで、「子供の事を理解でき、悪しき学校から子供を守る偉大な母親」というイメージが強化されたとのことです。この作品では主人公のこころに寄り添うのは母親であり、理解を示すフリースクールの喜多嶋先生も女性の方です。一方、家庭に介入していないと思われるのは父親であり、こころに寄り添うことが出来ていなかった担任の先生は男性でした。現実がそのような状況であるためとも考えられますが、この作品をジェンダーの観点から読むことも必要なのではないかと思いました。

最後にはいじめ言説と実際のいじめの現場との乖離について意見があり、いじめについての考え方が深められ、いじめ言説が強くなるほど被害者はその言説と自分の状況の乖離を感じ、いじめを訴えられなくなるのではないかという重要な指摘でした。また、人間関係というのは責任を10:0に完全に分けられるようなものではないためやはりいじめられる側の責任というものはあるのではないかという意見もありましたが、いじめられる側に責任があったとしてもいじめが起きることはあってはならないという考えが提示されました。

今回は非常に多くのことについて考え、学び、課題をもらうことの出来た研究会でした。お忙しい中このような読書会を計画し、資料を作成してくださった秦さん、本当にありがとうございました。