卒業記念エッセイを書いてほしいと言われたのはもう2ヶ月弱前なのに、3月末の締め切り直前になって慌ててこの文章を書いています。もう大学も卒業するのに、すべてが〆切ギリギリになってしまう悪癖はそう簡単には治りませんでした。
とはいえ、私に文学を語れるほどの器はないため、私と本についての自分語りを、つらつらと若干誇張気味に書いていこうと思います。お時間のあるときにお読みください。
好きの集大成
広島大学文学部人文学科4年
木原万優子
親譲りのオタク気質で子供の頃から好きな事ばかりしている。
自転車とロボットアニメが好きな凝り性の父、小田和正をこよなく愛する母のもとに生まれた私は、1歳からひらがなを読み、祖母を驚愕させたらしい。
幼稚園の3年間で2回も骨折するほど無鉄砲なわりに運動神経の悪かった私は、その頃から外遊びよりも絵本遊びに執心していました。小学生になるとそれはどんどん加速しました。小学校の図書室で毎日本を1冊借りては、その日のうちにきっちり読み、次の日また返却して新しく1冊借りる。それに加え、毎週末母が連れていってくれる市立図書館でも、貸し出し上限の5冊を毎週借りてはすべて読んで返す。兄や妹が借りた本も勝手に全部読む。当時は1週間のうちに15〜20冊読んでいたのではないかと思います。そのくらいの本の虫でした。(現代文学研究会なら、このくらい読んでいた人も珍しくないのではと思いますが……)
小学2年生のとき、私はある一冊の本と出会いました。はやみねかおる『亡霊は夜歩く』(講談社青い鳥文庫・1994)です。
本作ははやみねかおるの代表作のひとつ「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズの2作目。なぜ1作目『そして五人がいなくなる』でないのかというと、小学校の図書室がどういうわけか巻数を飛ばして所蔵していたからです。
本棚に並ぶ他のキャッチーなタイトルの児童書たちに比べ、「亡霊は夜歩く」という題名は、他とは一線を画した怪しげな雰囲気を纏っていました。
正直なところ、なぜこの本にそこまで惹かれたのかははっきりと覚えていません。しかしそこから、私ははやみねかおる作品の虜となり、「怪盗クイーン」シリーズ、「都会のトム&ソーヤ」シリーズ、「少年名探偵虹北恭助」シリーズ、『怪盗道化師』、『ぼくと未来屋の夏』、『恐竜がくれた夏休み』……蔵書ラインナップがまちまちだった小学校の図書室だけでなく、市立図書館の所蔵するはやみね作品のすべてを読み漁り、本の中で、心の底からワクワクする冒険を登場人物たちと共に楽しみ、奇々怪々な事件を名探偵と共に解決し、幸せな結末に満足して眠る日々をすごしていました。
もちろん、はやみね作品以外の児童書もたらふく読んでいたし、中学生頃からは一般文芸の単行本なども読むようになりました。でも、はやみね作品はずっと読み続けていました。「怪盗クイーン」シリーズの当時の既刊をすべて図書館で読み終えて刊行ペースに追いつき、書店で最新刊の『怪盗クイーンと魔界の陰陽師』(2012)をお小遣いで買えた小学6年生のときのことは忘れられません。(と、それにかけられていた衝撃的な帯も。)
ところで、私の小学生の時の将来の夢は、小説家になることでした。
これは、小説家になれば、自分が好きな小説の世界にずっと浸っていられる、ずっと小説の世界で生きていけると思っていたからです。本好きが高じて作家になったはやみねかおる先生や、はやみね作品を幼少期から読んでいた、史上最年少の直木賞受賞作家である朝井リョウ先生に影響を受けていました。私のような児童向けに小説の書き方を指南した石崎洋司『黒魔女さんの小説教室 チョコと一緒に作家修行!』をバイブルに抱え、小学校の毎週の宿題だった自主学習ノートに自作の小説を連載しては担任の先生に感想コメントをいただいていました。先生方、その節は本当にありがとうございました。
しかし、中学生あたりから、もしかして小説家というのは茨の道なのではないか、と考え始めます。自信作をコンクールに応募して、箸にも棒にも引っかからなかったことが原因です。傷つくのが怖くて逃げただけとも言えますが、次第に私は、小説を書く人生というより、小説を読む人生で行こうと思うようになりました。
ちょうどその頃中学校では、ライフプランについての総合の授業が行われていました。職場体験学習などを通して、生徒一人ひとりにこれからの進路について考えさせる授業です。一枚の白い紙を渡され、中学校を卒業してから自分がどう生きるかを書きなさいと言われました。
えーっと……中学校を卒業したら……高校に入学していっぱい遊んで……高校を卒業したら大学に入って……そうだ! 日本文学を勉強しよう!
あわよくばはやみねかおる作品について研究しよう!
こうして、私の将来の夢は、「大学で日本文学(はやみねかおる作品)を研究すること」になりました。
無事高校に入学すると、大学受験を視野に入れた指導が始まりました。高校生になっても私の夢は変わらず大学で日本文学をやることだったのですが、どの大学に行くかはまだ考えていませんでした。田舎育ちのため、なんとなく大学進学を機に都会に出てみたいなということをうすぼんやりと考えていたくらいでした。
高校一年生の夏、某有名大学へのオープンキャンパスツアーが校内で開催されることになり、(学力的に自分が入学できるかどうかは別として、)物は試しにと行ってみることにしました。するとびっくり。なんとその大学には、日本文学専攻はありましたが、近現代の文学について研究されている先生がいらっしゃらず、近現代についての授業はないとのことだったのです。もちろん古典を軽視しているわけではありませんが、頑張ってこの大学に入学しても、はやみね作品の研究はできないのか……と落胆しました。
その後なんとなく向かった、広島大学のオープンキャンパス。生まれも育ちも広島の私にとって、広島大学は特別な存在ではなく、自分にとって広大はそこにあるのが当たり前の存在でした。なんなら長らく広大以外の大学に行ったことがなかったため、普通の大学はもっとキャンパスが狭いと言われてもいまだにあまりピンと来ていません。
あまり期待せずに訪れた文学部の日本文学語学研究室には、テーブルに所狭しと過去の卒業論文が並べられていました。そのなかの一つに、私の目は吸い寄せられました。
「はやみねかおる研究─「怪盗クイーン」シリーズにみる「児童文学とパロディ」─」
わざわざ遠くに行かなくても、広島大学文学部日本文学語学研究室なら、はやみねかおるの研究ができるんだ!
これを知った時の感動は言い表せないほどでした。
そこから、勉強して広大文学部に入り、GPAをなんとかキープして日本文学語学分野に配属され、分野の三年生全員の前ではやみねかおるに対する愛を語って現代文学研究会に入り、今に至ります。
現代文学研究会では、たくさんの小説を読みました。三島由紀夫、金原ひとみ、吉本ばなな、桜庭一樹、辻村深月、向田邦子、米澤穂信、矢部嵩……。読んだことがある作品もあれば、読んだことのない作品もあり、正直読むのに苦労した作品もありました。しかし、自分の好きな作品ばかり読んでいたら得られなかったような知見や新しい出会いもたくさんありました。現代文学研究会の方々はみなそれぞれ個性豊かで、研究発表の際にいただく本当に様々な観点のご意見が毎度楽しみでした。これまでは基本的に一人で本を読んできましたが、誰かと一緒に本を読むということの楽しみは現代文学研究会がなければ気づけなかったのではないかと思います。また読書会だけでなく、映画鑑賞会や座談会など、ありとあらゆる現代日本文学に触れることができたのも、現代文学研究会ならではだと思います。卒業論文の執筆でひいひい言っているときも、週一回の研究会の存在が癒しであり、みんなが頑張っているなら頑張ろうと思えました。
さて、私の夢は「大学で日本文学(はやみねかおる作品)を研究すること」でしたが、卒業論文を書き終えた今、夢が叶ったと言っても過言ではありません。
しかし、はやみねかおる作品の研究は、いまだブルーオーシャン。先行研究が他作家に比べ著しく少なく、私が今回の卒業論文で取り扱うことのできた内容もほんの一部でしかありません。現に、書いている途中、あれも入れたい、これも入れたい……とさまざまな観点が浮かんでは消えていきました。これからは一読者として、はやみね作品について考えていこうと思っています。
そして、将来の夢が大学で終わっている私は、これからどうなっていくのか。
これまでを振り返ると、小説に演劇に音楽に……と、好きなことばかりしてきました。それができたのも、ひとえにそれを許してくれた家族や周囲の方々のおかげだと思います。本当にありがとうございました。
今までは、中学校を卒業すれば高校、高校を卒業すれば大学と、わかりやすいステップが示されていました。しかし、いざ大学を卒業して就職するとなると、その先どうなっていくのかが途端にわからなくなってしまったな、と思います。ライフプランを考えようという課題は、結局未完成のままです。
ただこれからも懸命に、人に迷惑をかけない程度に、自分の好きな事ばかり追いかけていこうと思います。