1月17日研究会報告

こんばんは、三年の山﨑です!

 

1月17日研究会報告

 

1月17日の研究会では、先週鑑賞した「班女・道成寺」について関さんにお話を伺い、質問にお答えいただきました。
三島由紀夫『近代能楽集』全8作を読む/観る/語る 関美能留講演会」の今年度最後の回ということで、「班女・道成寺」に関する質問だけでなくこれまでの講演会の内容を貫くような質問や関さんの演出法についての質問も出されました。

 

初めに出たのはセリフに関する質問でした。今回の劇では、戯曲「道成寺」の「私、驚きません」という台詞が、「班女」のある場面の直後に置かれることで、戯曲のときにはなかった異なるニュアンスが生まれていました。この部分について「稽古をしているときに『私、驚きません』のあたりで切りたいと思った。今回は、二つの作品を一緒に進めていく形だったため、最初に短いスパンで作品を切り替えて観客をこの形式に慣れさせる必要があった。それで、このあたりで一回切り替えておきたいと思った。ここで切り替えれば、二重の意味もうまれて面白いと思った」と語っていました。また、これに関連して台詞に対する演出や考えについて、「三島の戯曲の特徴と言えば、文語的な台詞だと思う。日常的な会話では使わない言葉が使われてる。自分としてはそういう文語が口語になる瞬間を求めていきたいと思っています」と語っていました。

 

また、小道具についての質問もかなり盛んに出ました。関さんはこれまでの作品で、戯曲中に登場する小道具を木の板やブルーシートなど全く異なる物によって表現するという演出を行っていました。しかし、今回は、戯曲のト書に従って、新聞紙がそのまま登場していました。これについて、なぜ他の物で表現しなかったのかという質問が出ました。関さんは、「新聞紙を実際に使ってみると、あれだけの時間では雪みたいに細かく切れないことがわかる(※作中には、ながい間恋人を待つ中で狂ってしまった花子という女性が、細かく切った新聞紙をあたりにまき散らし「ほら、雪が降ったわ」と言う場面があります)。『綾の鼓』の鼓を叩く場面みたいにできるのを見せる演出ではなくて、できないということを今回は見せたかった」と答えられていました。個人的には、新聞紙の大きな切れ端をまき散らして「ほら、雪が降ったわ」と言うことで、花子の認識の狂いがより強調されていた印象も受けました。

 

さらに、これまでの回と同様、劇中の音楽に注目した質問が今回も出ました。「班女・道成寺」では映画「ゴジラ」のテーマ曲が使用されています。この選曲の理由について聞かれると、「『班女』と『道成寺』の共通点の一つは、外から不思議な人が来て場が乱れていくというところ。その外部から侵略される雰囲気を醸し出すために「ゴジラ」の楽曲を使用した」と回答されていました。今までの作品を振り返ってみると、役者さんが好きな曲を使用した(「邯鄲」)り、登場人物の裏側の心情を暗喩した(「綾の鼓」)り、作品の展開と重なるような映画の楽曲を使用した(「葵上」)りと、関さんは様々な意図をもって音楽の演出を考えていることが分かります。来年度の講演も、音楽に注目して鑑賞してみたいと思います。

 

ほかにも、同じポーズを作品をまたいで登場させていることに関する質問、アドリブについての質問や、関さんが雑談の時間を重視されていることに関する質問など、様々な質問が出されました。今回は、二つの作品がお互いの内容を翻訳しあうような斬新な演出がなされていて、本当に衝撃的でした。来年度に予定されている「熊野」の講演会も楽しみです。