1月17日研究会

更新が遅くなってすみません(>_<)藤井です。
2014年、新年最初の研究会では読書会をしました。
取り扱った作品は、「トニー滝谷」「すいかの匂い」の2つです。

まず村上春樹の「トニー滝谷」ですが、議題として主に次の三点が挙げられました。
トニー滝谷には、父の音楽が昔と違って感じられたのは何故か。
・「ただただ単純に我慢が出来なかった。」の一文のみが太字になっているのは何故か。
・アルバイトの女性が服を見て泣いたのは何故か。

これらの三点からは、
・音楽が違って聞こえたのはトニーの変化ゆえにである
・服を買う満足感や音楽の自己満足という感情の消費を描いたのではないか
・女性が泣いたのは妻の「満足の末の」遺品の虚しさを想ってか
・ブランドの名前や音楽の詳細があまり書かれていないのは作品中で重要視していないためである
など、この他にも様々な意見が交わされ、この作品は「満足感」がキーワードになっているのではないかと考えることができました。


そして江國香織の「すいかの匂い」では、議題として次の六点が挙げられました。
・作品中で指についての描写や「冷たい」という表現があるがどういう意図があるのか
・この物語で蟻はどういう存在か
・みのるくんの「きっともう会えないから」の言葉の意味とは
・独立を示唆するおばさんの台詞の真意とは何か
・何故すいかなのか
・「私」の弟とこの双子との関係はどのように捉えられるか

これらについて、
・描写からして蟻は幻想の暗喩ではないか
・おばさんの発言とみのるくんの発言から、みのるくんが手術で切り離されてしまうことが考えられる
・すいかは昔懐かしいものの象徴で、匂いとは記憶を指すのではないだろうか
・みのるとひろしは母の胎内にいる弟のイメージ
・弟はもとは双子であったが胎内で吸収され一人として生まれたか
ミルクセーキ=栄養、すいか=血液
一家の夜逃げ説
などたくさんの意見が交わされました。
もし「私」のこの不思議な体験が幻想の中での出来事だとすれば、この双子と弟は深く関係しており、イコールであると考えることもできるのではないでしょうか。


今回は短編二作品を取り上げましたが、
それぞれ異なった読解が挙げられるなど、とても面白い議論になったと思います。
次回の読書会も楽しみです。